先日ホワイトデーでしたね。

毎年のことながらバレンタインデーのお返しに何を渡そうか悩むのですが、妻はロールケーキが好きなので今年はそれを買ってみました。

すると妻は予想以上にすごく喜んでくれました。なんだかすごく安堵しました。

さて本題ですが、先日ぼくにこんなことを言ってくる職場の同僚がいました。

同僚同僚

バレンタインデーのお返しとチョコとじゃ不釣り合いじゃね!?

ちびちび

そ、そうですね〜・・・。

まぁ、同調はできますよね。

その同僚も既婚者ですが、バレンタインデーのお返しにはアクセサリーを渡したそうです。ぼくも昔はよくアクセサリーを渡していました。

それにかかるお金は数万単位なのでチョコに比べれば・・・同僚の気持ちはわかります。

しかし、同僚はそれをぐちぐち言い続けるんですよね・・・。

同僚同僚

昔っから俺が損をしている!!
やってらんねえぜ!!

ちびちび

は、はあ・・・
(ガチで言ってるのか?・・・)

あまつさえ過去をほじくり出してまで、バレンタインデーのお返しとチョコの不釣り合いの不満を垂れるのですよね。

始めは単に同調していましたが、それを通り越して呆れてしまいました・・・。

見返りを求めるな!

本気でバレンタインデーのお返しとチョコの不釣り合いに不満を垂らしているのだとすれば、それは同僚が「見返り」に縛られていると推測できます。

見返りに縛られると、人は

同僚同僚

俺はこんなに与えたぞ!?
だからお返しはもっとあっていいだろ!!

こんな考え方になるでしょう。

これは極めて自分本位であり、人の価値を「行為」でしか見ていない考え方といえます。

当然ながら、人の価値は『存在』で決まります。

わざわざ自分のためにバレンタインデーチョコを作ってくれる妻が居てくれること、それ自体に感謝すべきです。

感謝していたら、バレンタインデーのお返しとチョコの不釣り合いなど気にならないはずだし、わざわざ赤の他人のぼくにぐちぐち言って来ないでしょう。

他者を評価するな!

見返りに縛られた考え方では、「評価」の発想が生じます。

すると他者を見るとき、「自分にとって好都合な人か否か」を判断し、そこから引き算するように評価してしまうものです。

同僚同僚

俺がこんなに与えても、あいつは相応に与えてくれないやつだ!

これはぼくも経験あることですが、他者を評価すると、結局は自分にとって不都合になります。不平不満を抱くことになりますからね。

だから他者を評価せず、ありのままに見て、「存在」そのものに感謝していくことがやはり大切です。

自慢するな!

バレンタインデーのお返しとチョコの不釣り合いは、言ってしまえば暗黙の了解であり、しかもそれを後発側の男性がぐちぐち不満を垂らしているのは聞いていられません。

ジョークなら聞き流せるとして、半ば本気で不満を垂らしている「演技」をしているのだから見てもいられません。

同僚同僚

バレンタインデーのお返しとチョコとじゃ不釣り合いじゃね!?
(不釣り合いでも高いアクセサリーを買ってあげた俺すごくね!?)

ちびちび

そ、そうですね〜・・・。
(さぞお金かけたんでしょうね、すご〜い。)

不満を垂らしているようで、自分は献身的な夫なのだと「自慢」しているようにも捉えられます。

他人の小賢しい計算が見え隠れする自慢ほど、聞いていて退屈なものはありません。

自慢は劣等感の裏返しと言われているので、同僚には健全な手段で劣等感を補償していってほしいですね。

まとめ

偉そうに同僚のことをあれこれ言いましたが、ぼくがとにかく言いたいのは

バレンタインデーチョコを作ってくれる妻に感謝!

別に作ってくれなくても妻が居てくれるだけで感謝!

ということです。

おわり